村崎百郎が面白すぎる件

今更ながら、バージニア工科大学銃乱射事件についての村崎百郎氏の論評が面白い。いや面白すぎる。
社会派くんがゆく! RETURNS

「春だから ガンガン行こう! 銃乱射」    村崎百郎

1 おそるべき童貞パワーが処女大学を急襲

 実に由々しき事態である。
「あらゆる意味で格下だと思っていた韓国人に、あんなスゲえ銃乱射大量虐殺事件を起こされたのではアジアでトップを自負する日本の立場や面目は丸潰れだ。この事件で“韓国人はキレたら何をするか分からない不気味な奴ら”という恐怖のイメージが世界中に広がり、今後は国際社会でも一目置かれることだろう(くそ、羨ましすぎるぜ!)。その反動で、またしても国際社会で日本人のヘタレぶりがナメられてしまうのではないかと思うと、日本人の一人として実に心配だ」というのが、バージニア工科大学銃乱射事件の事件の犯人が韓国人だと報じられた直後のオレの素直な感想だが、期せずしてこの心配は現実のものとなった。もちろん、そうなった元凶は思い出すのも忌わしいが、昨日(4月20日)から今朝にかけてオレも含めた日本中の野次馬視聴者様を、恐怖どころか退屈のどん底に叩き落としてくれた町田の銃撃犯立てこもり事件である。何と情けない事件だろう(泣)。日米どちらも2丁の拳銃を使用した犯罪であるにもかかわらず、バージニアの韓国人青年(まず確実に童貞)は、たったの数時間でアメ公を32人も殺したというのに、町田の立てこもりヤクザは、こともあろうに自分の組の兄貴分を一人射殺して自宅マンション(しかも公営住宅 )に逃げ込み籠城して、そこから15時間もさんざん気を持たせたあげく、突入された際に自殺を計って自分のこめかみを撃ったのはいが、それでも死にきれなかったという空前の情けなさを晒してくれたのである。対する日本の警察(神奈川県警)も犯人以上に情けなく、たった一人の銃撃犯に対して何と300人体制という途方もない人員を用意して周囲を厳重に取り囲み、SITだかshitだか知らないが文字通りクソみたいな名前の狙撃班まで配置しておいて、犯人を撃ち殺しもせず15時間にも及ぶ情け深い説得工作をするんだから、これはもう、派手なドンパチを期待してTVの中継を見守っていた全国の暇な野次馬視聴者に対する重大な裏切りとしか思えない(怒)。あいつらは視聴者をナメているのか? オレなどは午後5時からのニュースの中継で、武装した警察の突入隊が部屋のドア付近に集まっているのを見て、わざわざ原稿を書くのを中断して「ああ、コリャもうすぐ突入だな」、「さて何人死ぬかな、楽しみだぜ♪」と、TVの前で横になって、茶を飲み、おやつのベビーラーメン(バーベキュー味)をほお張り、時々放屁しつつワクワクしながら凄惨な殺戮シーンの到来を待っていたのに、誰も死にやがらないどころか、いつまで経っても突入しないので、結果的に「ポチたま」を観そこなって散々だった。ラブリーな犬猫どもの愛らしい痴態を見逃したオレの精神的苦痛と損害を補填してくれる保険会社があったら是非とも紹介して欲しいもんだが、これは思わず大声で「お前ら、カネ返せよ!」と叫びたくなるくらい大きな損をした気分である。この怒りを何処に向けてくれようか(怒)。
 実際、バージニア工科大学の乱射事件に比べたら、町田の事件は思い出しただけで鬱になるくらいヘタレで情けない銃撃事件である。犯人も警察も、そして毎度のことながら遠巻きに見守るだけで被害者が一人も出ないマスコミの連中も、全員が無能で期待ハズレのカスカスのチンカスに見えてしようがないから大変なもんだ。嗚呼、いつから日本はこんなヘタレな犯罪しか起きないショボい国になってしまったのだろう。あんな事件があった後では。オレはもう日本人の一人としてこの先当分、恥ずかしくてまともに顔を上げて外を歩く気になれん! しばらくは、外人に会ったらマジで中国人か韓国人のフリをするつもりだ(泣)。
 ……というのは半分以上本気の冗談だが、日本国内がここまで情けないと、オレが常々鬼畜として誇りに感じている第二次世界大戦南京大虐殺も別な意味でその信憑性が揺らいでくるから心配だ。こんなヘタレ事件が続くようでは、さしたる根拠がなくても世界中がその真偽を疑い始めるだろう。「そもそも、あんなヘタレな国の軍隊に、南京大虐殺なんて大それたことができたのだろうか?」→「ウソくせえ、あんなビビりまくりで脅されたらすぐ金を出すヘタレどもの国の軍隊に、そんな男らしい大胆な虐殺事件など起こせるわけがない(笑)」→「そうだ、だから南京大虐殺は100%間違いなく歴史の捏造だ!」……などという流れになったら、それはそれでヒジョーに腹の立つ事態である。
 まあ、オレのように南京大虐殺慰安婦強制連行も731部隊の石井クンのイイ仕事も、全てひっくるめて「先人のやったことは善行も悪行も全て誇りに思う」タイプの鬼畜にとっては、いまだにムキになって論陣を張る、大虐殺の事実の肯定派も否定派も全員ただの馬鹿にしか見えないのでクドクドとは言わない。いつも言ってる通り「先人のやった良いことだけを誇りに思い、悪い(ように見える)ことを恥じるのは、愛国心として中の下である」ことを忘れず、我々は諸外国のクソどもを気にせず、すこやかに楽しく生きていこう! 歴史の教科書に何が書かれていようが「オレの知らない時間や空間で、どこの誰が誰にどう殺されようが知ったこっちゃねえんだよ馬鹿野郎!」と、肚をくくって周辺諸国の誹謗中傷や猛抗議に全く動じない鬼畜な子供をたくさん育てることが本当の愛国教育というモノである。国際社会はナメられたらオワリ。我々日本人は、外に向けての建前はともかく、本音では「いつまでも周辺諸国に嫉まれ、憎まれ、怖れられるような強くて過激で鬼畜な国を目指そう!」をスローガンに頑張っていきたいものである。とくに今を生きる日本の善良な若者諸君は、周辺諸国の寝言に近い抗議など一切気にせず、くだらない罪悪感を抱くことなく堂々と胸を張って好き勝手に生きて欲しい。キチガイ脳梅哲学者のニーチェ風に言えば「国家のために為されたことは、常に善悪の彼岸にある」のだから。

 さて、バージニア工科大学の乱射事件に話を戻そう。
 事件の一報を受けて「全米が大きな悲しみに沈んでいます」というたわけた報道があったが、ニュースの枕詞にしても、よくもまあ、そんなありえねえウソが言えたもんだ。そんな寝言は平和ボケした日本人の感覚であり、好戦的で攻撃的なアメリカ人の感覚ではない。この程度の虐殺事件で、世界一の鬼畜大国アメリカの国民どもが本気で悲しむとでも思ったら大間違いだ。地球の回転が逆になって太陽が西から昇って見えるようなことがあっても、アメ公どもがこんなチンケな虐殺に本気で悲しむことなどありえない。もう10年以上前に、ピート・ハミルがエッセイで「アメリカが国として、どうしてこんなに強いかというと、同じアメリカ人同士でしょっちゅう銃でドンパチやって殺し合っているからだ」という類いのコメントを紹介していたが、全くその通りである。誰がいつ撃ち殺されても不思議でも何でもない、全く気の抜けないハードでシビアな銃社会に生きているからこそ、アメ公どもは加害意識を全く持たずにレジャー感覚で暇つぶしに他国を空爆したり、放射能排気ガスを派手に巻き散らかして環境破壊を推進しておきながら「クジラを大切にしよう」などと無責任に能天気なことを言ってみたり、頼みもしないのにキモいネズミキャラが跳梁跋扈する不気味な遊園地を世界中にこさえたり、わざわざ月まで行ってセンスのねえ下品な旗を立ててくるようなことを平気で出来る鬼畜な国民性を維持できるのだ。そんな奴らの仲間がたったの32人殺されたぐらいで日本人の我々がいちいち同情してやる義理など何処にもないし、アメリカでの銃での犠牲者への同情など、時間と脳内情報伝達物質の無駄以外の何物でもない。奴らは同士討ちをする度に、テロや戦争で仲間が殺される度に、そんなものに負けてたまるかと強くなる。「人は適度に撃ち殺されるのが当たり前で、“人生とは、撃ち殺される前に相手を撃ち殺して生きながらえる事である”というのがアメ公どものふざけた共通認識だと思って間違いない。だから今度の事件を評して「やっぱり銃社会はいけない」などと言うアメリカ人は正気を失ったキチガイで、「それみたことか、生徒全員が腰に銃をぶら下げて武装して授業に出ていれば、あんなに黙って32人も殺されたりはしなかったろうに」、「銃乱射事件に対抗するために、もっと銃を作って売ろう」、「早く国民に銃の携帯を義務づける法案を成立させなければ」と考えるのが、まっとうなアメリカ人的発想なのである。いや、まったく大変な奴らを相手に戦争をしたものだ、我々のジイちゃんの世代というのは(しみじみ)。

 そういう暴力にあふれた強いアメリカと日増しに全てがヘタレになりつつある日本を見比べる度に、「国家を弱体化させるのは長すぎる平和である」との思いが強まって陰鬱な気持ちになる。もっと言えば「戦争も平和も、どちらも長く続きすぎると結果的に国家のタメにならない」ということだ。だから、少々むごいが我々は割りきらなくてはならない。犯罪には人知や善悪を超えた効用というのがあって、犯罪犠牲者たちには冗談ではないが、時々起こる“とてつもなく悲惨な犯罪事件”は、国家にとっては国民が平和ボケしないための適度なストレスとして極めて良好に機能して、それは長い目で見れば、盆暮れ正月と同じように国家に必要な「歓迎すべきイベント」なのである。
「歓迎すべきイベント」が起きる度に、我々はめいめい密かに歓声を上げ、同情するフリをしたり、反省するフリをしたり、何かを真剣に考えるフリをして、徹底的に犯罪事件を「みんなの玩具」にして楽しむ。「隣の不幸は鴨の味」というが、こんな娯楽はまたとない。だから我々は、そうしたイベントの被害者にも加害者にも「ご苦労様」と感謝の気持ちを忘れずに、心置きなく馬鹿にしたり、笑い飛ばしたり、ザマアミロを言おう! それが生き残った者たちの死者に対する礼儀でもある。


2 事件のキーワードは「童貞」

 さて、それでは次に今回の乱射事件を同情ヌキで批評しよう。
 いくら韓国人がやった事とはいえ、今度の乱射事件は、犯罪としては善悪抜きに天晴れな快挙である。犯人はほんとにスゴイ奴だ。オレは単純な嫌韓主義者でも何でもない単なる鬼畜なので、性別人種を問わず、スゴイことをした奴は素直に「スゲエ!」と認める主義である。だから今回の事件について、自分たちへの反応ばかりを考えて「韓国人がみんなあんなのばかりだと思われたら困る」と迷惑な顔をしてコメントする韓国人たちを見ると若干腹が立つ。あいつらの代わりに犯人の偉業を讚え、個人的に「名誉日本人」の称号でも贈りたいくらいだが、それは彼も嫌がるだろうから(笑)、死んで地獄に堕ちたときに彼に会ったら「やあ童貞君、よかったよ、アレ」と言って、サインや握手くらいはせがんでやろう。

 それにしても「32人」……じつにステキな数である。6年余りの間に33人の少年を殺した“地獄のホモ道化師”ジョン・ウェイン・ゲイシーに勝るとも劣らない近い記録を、たったの数時間で達成したのだから、犯人の韓国人青年のチョ・スンヒ君(くり返すが、写真を見て分かる通り、まず確実に童貞。いちいちチョ・スンヒと表記するのがめんどくさいので、この原稿では以後略して“スーパー童貞野郎”と呼ぶ)は、殺人鬼として実に大したものである。この記録はテキサス・タワーの射殺犯チャールズ・ホイットマンの殺害した16人の2倍であり、コロンバイン高校の銃乱射事件と比較しても、あちらは二人合わせて13人殺害なのだから、頭数で割っても今回のは約5倍以上の快挙であり、一人で起こした鬼畜殺人の成果としては金メダル級の、じつに立派なものである(韓国では82年に酒に酔った警官による銃乱射で61人殺した事件がある)。結果ばかりでなく、犯行の合間に自分の部屋に戻り、犯行声明やポートレイト付きのDVDを焼いて放送局に郵送してくれた親切さは、オレのような犯罪愛好家には感涙モノの行き届いた配慮として高評価の対象だ。これは後に続く銃乱射犯たちにも格好のお手本となるだろう。ちなみに、いまハリウッドのアジア系若手男優たちは、こぞって映画化されるであろうこの事件の主人公のスーパー童貞野郎の役を射止めようと、オーディションに向けて、先を争って犯人の画像や犯行声明映像を手本に突っ込んだ“役作り”を研究しているに違いない。あまりに役にのめり込みすぎて同じ犯罪を起こすような奴がいたら面白いのだが、主役のスーパー童貞くらいは何としても日本人俳優に演じて貰いたいものだ。でないとこのままでは本当にかつて極東ナンバーワンのイケイケ国家だった日本がナメられていく(憂)。

 次にいよいよ今回の事件の退屈な本質について、さらっと電波検証してみよう。
 今回の事件のキモというかキーワードは誰が何と言おうとも「童貞」である。今回の事件は、犯人のスーパー童貞野郎がいつまで経っても自分から外の世界との繋がりを求めず、「童貞」のまま自分一人のファンタジーの世界に入り浸り、現実世界の女とまんこしようとしなかったのが原因で起きた悲劇の「童貞事件」にほかならない。ウソだと思ったら、もう一度犯人の顔写真をじっくりと冷静に見てみるがいい。こいつが童貞でなかったら、いったい誰が童貞だろう? 最初に公開されたあどけない表情の若干若い頃の写真も、事件直後の犯人を写したとされる写真も、顔は言うに及ばす、全身の毛穴からイカ臭い童貞臭がにじみ出て、見ているだけでそのクサさに鼻が曲がりそうになるくらい120%確実な童貞であることが誰の目にも明らかだ。現実感の無いファンタジーの世界に生きているからこそ、あのスーパー童貞野郎は躊躇なく短時間で32人もの人の命を平気で奪えたのだ。精神がファンタジー世界に生きている童貞にしてみれば、撃ったのは実在の人間ではなく「ゲームの敵キャラ」みたいなもので、生きた人間を撃ち殺した実感などほとんど無かったに違いない。ゲームの敵キャラを撃つのに罪悪感を持つ優しい奴がいるだろうか? 否である。ファンタジーの中では童貞はいつでもスーパーマンになれるのだ。
 今回の乱射事件は、よくいるセカイ系の自己チュー若者が自己を一切省みず、自分以外の他人を全てひとくくりでとらえ、「オレがイケてないのも童貞なのも女の子にモテモテじゃないのも、みんなオレ以外の奴ら全員が悪い!」と思わせる被害妄想電波に負けてブチギレた童貞が引き起こしただけの単純な妄想犯罪にすぎない。オレの経験からも、ファンタジーの世界から出られない童貞には悪性の被害妄想電波が取り憑きやすいし、そういう奴らは常に自分のことしか考えられず、「実は辛かったり苦しかったりするのは自分だけじゃない」という当たり前の真実すら理解できずに、ひたすら自分以外の他者を嫉んで恨むものだ。そんな不毛な暇があったらカネを払うか土下座でも何でもして、とりあえず手近な姐ちゃんにヤラせてもらって童貞を捨てて、下品にデカいパイオツをもみながらクッセえまんこをナメたりしゃぶったりして、買春でも何でもいいから直接ナマで他人と話して触れ合って、「ああ、この世界にはほんとうに自分以外の人間もちゃんと存在していて、そいつらのアレは写真で見るよりグロくてクサくて、セックスも期待したほど気持ちの良いもんじゃなくて、そんでもって、だけど、そいつらもオレと同じように下らないことで悩んだり傷ついたり、欲情したり発情したり、欲情したり発情したり、欲情したり発情したり、欲情したり発情したり、欲情したり発情したり、欲情したり発情したり、欲情したり発情したり、欲情したり発情したり、欲情したり発情したり、欲情したり発情したり、欲情したり発情したり、たまにはアナルセックスがしてえなとか欲情したり発情したりして、みんなそれぞれ大変だけど、それでもなんとか生きているんだなあ……」ということをリアルに実感できていれば、哀れなスーパー童貞野郎も今回のような乱射事件を起こすほど他者を憎むこともなかったに違いない。「みんな自分と同様に苦しいんだ」とか「いくらモノを持ってたって、持ってない奴をバカにしていじめったって、人はそれだけで最高に幸福だとも限らないんだ」ということふまえた他者理解さえ為されていれば、銃なんか買わずにそのカネで娼婦が買えたはずなのである。
 そう考えると、「建物が百以上もあって万人単位の学生が住む無駄に広い大学の構内に、童貞が手軽に入って利用できる安値の売春宿が一軒も無かったのが事件の元凶」ということになるが、そんなことは今更言っても後の祭りだからしゃあねえな(笑)。そもそもアメリカのような下品な国の大学の構内に、公営の売春室が設置されてないというのがおかしな話で、「大学は勉強をする所でセックスをする所ではない」という阿呆がいたら「じゃあセックスに勝る人生勉強があるのか?」と問い詰めたいものだが、今となっては……あ〜もうどうでもいいわ、どうせアメ公どもの問題だ、勝手にやってくれ(なげやり)。

 ちなみに、こんな事件くらいでアメリカの銃社会について批判するつもりはないし、奴らはそれで殺し合って強くなっているので、同情と同様に、そんな批判は余計なお世話以外の何物でもない。我々平和ボケした日本人と違って、あいつら鬼畜アメリカ人は銃を持っていないと不安で不安でたまらない哀れな生き物であり、彼らに銃を捨てろと言うのは、渋谷のセンター街にたむろするステキな若者たちに携帯電話を今すぐ捨てろと言うのに等しい無茶な発言で、言うだけ無駄な妄言であることは理解しよう。
 それにしても、犯行声明画像でのムチャクチャな恨みつらみ発言は見ていてなかなか面白かった。まるであのスーパー童貞野郎の背後に金正日総書記が乗り移って、ブッシュに向けてイヤミたれてるように見えたのはオレだけではなかったろう(笑)。

 何だか童貞の悪口ばかり書いているように見えるかもしれないが、オレは決して童貞が悪いと言うつもりはない。書くのも恥ずかしいが、童貞は大いなる夢と性欲と想像力にあふれた、人生で最も輝かしい「青春」という名前の白紙のノートの中の、最も純白で穢れの無い1ページのようなものである(ここで赤面)。男子たるもの、大いなる性欲に悶々とし、女を欲しがり地面をのたうち回って咆哮し、世界の果てまで想像力を飛翔させて、発狂寸前になるまで発情して多感な「童貞期」を謳歌し、それを捨てて成長する努力に精魂を傾けよう! もちろん相手は女でなくてもかまわない。個人の趣味の問題で、男の尻穴を貫いて肛門性交をしたチンポコが童貞か否かという些細な問題と同様に、その人間が「童貞」かどうかというのは最終的には心のありよう次第で、女の膣に挿入しようが男の肛門に挿入しようが、または誰の穴にも挿入しなくても、童貞を捨てられる奴は捨てられるし、捨てられない奴らは一生捨てられない。ある意味で童貞を捨てるということは「大人になる」ことである。他者の存在と尊厳と存在意義を知覚&認識&理解できないようでは、どんなに女とハメようが童貞を卒業したことにはならない。そういう意味ではもちろんこのオレもいまだに「童貞」である。オレが理想とする「究極のセックス」を実現してそれを実感するまでは、オレはこれからも生涯童貞でもかまわないつもりでおまんこ道を邁進&精進し続けるだろう。そう、徹底的にどうでもいい結論だが「青春」と「童貞」と「お子ちゃま」は完全に同義語なのだ。


3 いつか電波が運んできた、風に飛ばされそうな短い会話から
「何であの犯人、銃乱射なんかしたんだろう?」
「童貞だからさ」

2ちゃんねるでは、この事件に関するスレでこの様に殺人そのものを肯定し、心の底から賛美する様な鬼畜な書き込みはもはや見られなくなった。こういう事件ではつまらない嫌韓コメントがひたすら並ぶだけ。私にはそれが残念だ。
不謹慎を承知で言うが、私が中学生くらいだった頃は、大量殺人事件や、大災害、もしくは大事故など「人がたくさん死んだ」事にワクワクしたものだった。おそらく年を経てもこういう気持ちを残してる人もいると思う。しかしそういった事件に「韓国」や「中国」が絡むと、その気持ちがネトウヨ思考に汚染されていた場合、歪んだ発露をしてしまっているのではないか?当初は「大事件だ!」と純粋にはしゃいでいたのが、ネトウヨ思考によって歪められ「これで韓国の評判はガタ落ちだなw」と自分の思考をそっちの方向に持っていかれてしまっているのではないか?
それは勿体無い事だ。自分だけのものだったはずの思考を、誰かの思い通りにさせられているのかもしれないのだから。



注:今回のエントリは鬼畜モードでお送りしております。