大根が教えてくれたこと

id:gryphonさんの記事のコメント経由で。
日記: 徒然草 第六十八段

 九州の筑紫に、押領使の役職おおせつかった大名が御座いました。この方、大根を何にでも効く良い薬だと信じ、長年にわたり毎朝二本ずつ焼いて食べ続けておりました。
ですが、ある日。押領使ばかりを残して、館の中に兵がいない隙を見計らい、敵が襲ってまいりました。すっかり取り囲まれ窮地に追い込まれました時、館の中に兵が二人現れ、命も惜しまず戦い、敵を皆、追い返してしまいました。
押領使はとても不思議に思い、二人が何者であるのか尋ねます。
「日頃、この館で見ない者共だが、かくも戦うとは、どなたでごわすか?」
すると。
「あなたが何年信じて、毎朝召し上がった大根めにごわす」
そう言うと、二人の兵は消えてしまった。
 信じれば、深くだよ。こんな徳もある。

おかしい。パッと読んで強烈な違和感がある。
その大名は大根食ってるんだぜ?
いわば天敵じゃないか。
自分たちを食ってる人間のために大根がわざわざ化けて戦いに来るか?
大根を人間に置き換えて考えてみるとだな…。
人間を万病の薬と信じている鬼が、毎朝人間を2人食っていたとする。
その鬼が別の鬼グループの襲撃を受けてピンチに陥った。
その時人間がその鬼のために体を張って戦いに来るかぁ?
無い無い無い無い無い無い無い無い!絶対無い!
なんで自分たちを食っている相手のために戦わないとあかんのだ。
冗談じゃない。
普通に考ればこの話は自分勝手な人間中心の話に過ぎない。
けど大根の立場になって考えてみようか。
なんだよ、大根の立場って。
まぁいいか。
大根は別にその大名に恩義を感じて、ピンチに駆けつけたとは言って無い。
ただ自分たちは大根(の精?)だと言っているだけだ。
大根は一体何が望みだったのだろう。
何故その大名を守らないといけなかったのだ?
考えられるのは、その大名がただ大根を食っているだけではなく、
大根の栽培を奨励していたのではないか、ということだ。
それならば一応の辻褄は合う。
大根は自分たちの子々孫々の繁栄のために、命がけで大名を守ったのだ。
さすればますます大名は大根の栽培を奨励するだろうとの期待もあったかもしれない。
しかし大根はその後守った大名に美味しく頂かれてしまうかもしれないのだ。
いくら自分たちの種を栽培してくれているからと言って、
自分を食らう相手のために命を張れるだろうか…。
少なくとも私には無理だ。
しかし大根はやってのけた。
そこには自分の命さえ全く顧みない、一種の悟りのような精神さえ感じられる。
手塚治虫の『ブッダ』に自分をトラに食わせる話が出てくるが、それに匹敵するかのような話だ。
もしかしてこの大根は
「死など恐れる必要は無い。
種が存続してくれているのなら、
私はそれだけで満足だ。
私を食べる時は、なるべく美味しく頂いて欲しい」
とさえ思っているのかもしれない。
なんだろう、大根に負けたような気がしてしょうがない。