記事の文字起こし

3/15付の地方紙にフィリピンで起こった従軍慰安婦の抗議デモの記事があるのですが、
ネットのどこにも載ってないようなので文字起こしします。

2007年3月15日付 
慰安婦の怒り再燃 安倍首相の「強制性」否定発言
フィリピンで抗議デモ 「私たちと対面しなさい」

「安倍首相、調査に来て、私たちと対面しなさい」
旧日本軍が従軍慰安婦の動員を強制した具体的な証拠は無いとしてた安倍首相の発言をめぐり、
フィリピンの元慰安婦の怒りが再燃している。
今月6日にはマニラの日本大使館の前で抗議デモを実施、
有力英字紙が発言を批判するなど波紋が広がっており、
慰安婦に償い金を支給する「アジア女性基金」で
問題を決着済みとしてきたフィリピン外務省も困惑気味だ。
「苦しい記憶と闘いながら生きてきたのに」
約50人が参加したデモで元慰安婦の一人、ナルシサ・クラベリアさん(76)はこぼれる涙をぬぐった。
1943年、13歳の時、約10人の日本兵が抗日デリラを捜して家に来た。
日本兵は村長だった父を柱に縛りつけ、ゲリラの居場所を「知らない」と答える父の胸部の皮膚を剥いだ。
屋内では数人の兵士が母をレイプしていた。
 ナルシサさんら3人姉妹は連行され、駐屯地に。
洗濯、食事の支度の後、毎晩、無理やり兵士の相手をさせられた。
一年後、米軍爆撃を気に逃走したが、姉妹の一人は行方知れず、
もう一人は精神に異常を来たしたまま昨年亡くなった。
 バージニア・ビリヤルマさん(77)は14歳の時、マニラ市内でトラックに乗った日本兵5人に拉致された。
一日に数え切れないほどの兵士の相手をさせられ、「私は奴隷だった」
 ピラール・フリアスさん(79)は15歳の時、ほおにタバコの火を押し付けられるなどして出来た
やけどや傷の後が残る。44年、村に来た日本兵に後ろ手に縛られ、数人の女性とともにトラックで山に。
約30人の兵士がいるキャンプで毎晩レイプされた。
 ナルシサさんたちは「日本政府は(従軍慰安婦を強制連行した事実を)きちんと歴史に書きとどめて欲しい」と訴える。
英字紙インクワイヤラーは安倍首相発言を「日本に破壊された国々が率直な謝罪を求めているだけなのに、
解決を手の届かない所に押しやった」と厳しく批判した。
フィリピンの元慰安婦支援団体によると、同国で元慰安婦と名乗りでた女性は174人。
民間募金に依存した「アジア女性基金」を拒否した人も少なく無いが、旧日本軍の関与を認め謝罪した93年の
河野洋平官房長官談話を受け入れる形で88人が受け取った。
 フィリピン外務省は元慰安婦の抗議に配慮、エブダリン外相代理が河野談話を守るよう日本政府の要請すると述べた。
(マニラ共同=船越美夏) 

フィリピンの元慰安婦の方の証言は
旧日本軍性奴隷問題の解決を求める全国同時企画  京都のブログ 200604
http://shogenkyoto.blog70.fc2.com/blog-date-200604.html
こちらでもご覧になれます。