弄ばれる「人権」

てっく氏のLet's Blow! 毒吐き@てっく: 「慰安婦問題」狂想曲の欺瞞
のエントリを読んで深く考えさせられた。
と言っても勿論その主張や考察が優れているからではなく、マイク・ホンダ氏の慰安婦謝罪決議に対し、RAAにおける日本人の元慰安婦の「人権」をカードにして反論しているからだ。では、彼らはアメリカでこの様な決議騒動が持ち上がる以前に、この日本人の元慰安婦の「人権」を取り上げたことがあるのだろうか?ただの「カード」としての人権を振りかざしているだけなのではないのか?
マイク・ホンダ氏が従軍慰安婦問題を政治利用しているのは間違い無い。だが、それに反論する方たちも私に言わせれば同じ穴の狢である。「原爆」「東京大空襲」「RAA」「ベトナムの混血児」を反論のベースにしているのは、被害者の人権を重んじているからではなく、カードとして使えるからに過ぎない。
これはいわゆる「サヨク」にも当てはまる事例が多々見受けられる。「人権」を錦の御旗に掲げるとき、どうしても政府批判に結び付けたいという底意が見え隠れすることがしばしばあるからだ。
これは被害者にとって不幸な事である。ある種の人々が被害者の「人権」を口にするとき、純粋な動機ではない思惑から問題の解決が先延ばしされ、結果として被害者の「人権」を傷つけてしまうことがあるからだ。韓国が従軍慰安婦をいつまでも政治利用しているのは、その典型的事例だ。
私は従軍慰安婦問題において何も反論するべきではないと言っているのではない。誤謬は訂正されるべきだろう。だが、誤解を解こうとしている方たちは決まって「日本(軍)に責任はない!」と断言してしまっている。これは受け入れられない。責任が皆無であるという所まで強引に押し流そうとする動きには反対する。宮台真司氏の言葉を借りれば「責任はゼロではない。かと言って100でもない」ということだ。程度の問題である。そこの所を丹念に説明していくしかないだろう。しかしそれは政治家のするべき仕事ではない。歴史家の仕事である。安倍首相は田原総一朗氏に太平洋戦争について「それは後世の歴史家が判断することであって、政治家が軽々に判断すべきではない」と回答している。しかし、昨今の安倍首相の言動や自民党の有志の行動からは「政治家が軽々に判断」しているようにしか見えない。安倍首相は、今こそ自らの言動を見つめなおす時期に来ている。


【4/8追記】
てっく氏にこのエントリのTBを送ったのですが、向こうでは反映されて無いようです。認可制なのかな?