JSF氏の超理論
T72神信者のJSF氏がこのようなエントリをあげられています。
【辺野古】ジュゴン保護を隠れ蓑にした政治闘争 : 週刊オブイェクト
簡潔にまとめると、ジュゴン保護を訴えているのは反戦系の極左団体であるから、「ジュゴン保護」は「政治闘争」だと結論付けているのです。しかし、そこで引用されているたれ氏の体験談も、ジュゴン保護とは全く関係の無い話です。これを持って、やっぱりサヨクの活動だ、とレッテルを貼れば何か陰謀を見抜いたような得意げな気分にはなれるかもしれませんが、これでは本質論から大きく外れていると言わざるを得ません。
辺野古を埋め立てしたとしてもジュゴンや環境になんら影響が無い事を証明して、「これは政治闘争に過ぎない」と主張するのならともかく、それとはなんら関係の無い軍事知識の著しい欠如やイデオロギーの偏りをもって、お手軽に結論を出してしまうような態度は、ソース至上主義のJSF氏らしくもありません。これではただの質の悪いプロパガンダでしょう。
そしてリンク先の冨田晋氏の日記ですが…、典型的な共産党の主張の引き写しですな。妄想としか言えないような陰謀論や使い古されたアメリカ悪玉論…。こっちも質の悪いプロパガンダまみれです。
なんだかどっちもやってる事があまり変わらないんだなぁと思った次第であります。
追記
ジュゴン保護をやってる中の人に暴走左翼がいても、ジュゴン保護=政治闘争とはならない罠。
純粋に環境保護でやってる人もいるだろうし。
Posted by 156 at 2007年05月27日 01:28:01
ま、そゆことですわ。
それなのに、「ジュゴン保護を隠れ蓑にした政治闘争」とタイトルで結論付けるのは、ちょい理屈がおかしいんとちゃう?
「純粋に環境保護でやってる人もいる」と思われるのに、この書き方ではジュゴン保護が丸々政治活動であるかのような印象操作を行ってるように見えて仕方ない。実際コメントではそう見なしている方がちらほら見受けられますのでね。誤解を与えるつもりがないのなら、一言、注釈をいれておくべきでしょう。
さらに追記
なんだか自分が下らない議論をしている気がしてきました(^^)
論敵の政治的なることを政治的に批判する|絵ロ具。
こちら で「ジュゴン保護は政治的闘争を隠れ蓑にしてるか否か」で議論されているのだが、
「ジュゴン保護」が「政治的意図」を持って何が悪いのだろうか。
たとえば学校給食が行われていない地域で「学校給食の導入」の是非を市民に問うことになったらそれは「政治的」だし、
環境破壊が問題になる地域開発(まあたとえば「ダム」とか(笑))の「環境保護か、開発か」をめぐって双方が争うとしたらやはり「政治的闘争」ということになるんでは?で、ジュゴン保護を唱える人たちが、その意志に沿うような政策をしてくれそうな政治に添う、ということの
何が問題なのか。
何も問題はなさそうですね(笑)