1993年8月4日の河野官房長官談話に対する各紙の社説

産経・赤旗を除く、毎日・日経・朝日・読売の4紙の社説を紹介する。



【毎日社説 1993年8月6日付】

歴史の教訓として生かそう


 私たちの同胞の過去が明るみに出されることはつらいことである。
ましてそれが国家のかかわることであり、しかも人間の尊厳を著しく冒した行為であるならば、
なおさら目をつむりたい誘惑に駆られよう。
が、それは加害者のおごりというものである。
しかもそれが、私たちの心の奥底に潜む「差別」と連なっている懸念もなしとしないなら、
どんなに苦痛が伴おうとも、えぐり出して白日の下にさらさなければならない。
それは他のためではない。自分自身のためである。
 憲法に従えば、日本は未来に「名誉ある地位」を求めている。
世界的な名言となったワイツゼッカー独大統領の「過去に目を閉ざすものは、現在にも盲目となる」を引くまでもなく、
過去を直視し清算できぬ者が、どうしてほかからの尊敬を未来に得られようか。
 政府は四日、日中戦争から太平洋戦争にかけての従軍慰安婦問題で、初めて本人の意思に反した強制連行であり、
彼女らの生活が「強制的な状況の下での痛ましいもの」であったことを認めた。また旧日本軍の直接関与のあった事実も確認した。
そして官房長官が「多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた」と、改めておわびと反省を表明した。
 遅きに失したとの批判もあろう。調査が不十分との非難もあろう。償いの仕方が不明との不満もあろう。
私たちもそう考える。しかし政府がこれまでの行きがかりから抜け出て率直に歴史を直視したことは一歩前進と認めたい。
 実際、歴代の自民党政府はこの種の問題に冷淡すぎるほど冷淡だった。
資料の発掘には不熱心で、意図的に隠しているのではとの疑いを内外に残した。
新生党代表幹事の小沢一郎氏が自民党幹事長時代に「これ以上、土下座する必要があるのか」とほえたように、
自民党執行部の多くはこうした問題を「解決済み」と無視するばかりか、誇張されたものとする姿勢さえ取り続けてきた。
 その自民党政権が三十八年の−党支配を終える直前に方向転換を図ったことは、意味深い。
 今回の調査結果の発表は政権交代期と絡んだため拙速の指弾は免れない。
また官房長官談話にもあるように、おわびの気持ちを「どのように表すか」は今後の課題として持ち越されている。
民間の研究も進んでいるし、現在進められている補償と謝罪要求の裁判も関係してこよう。
慰安婦問題が韓国にとどまらず、アジアのかなりの範囲に広がることも確実だ。
さらには戦時労働者の強制連行や軍票、軍事預金の未払い、サハリン残留韓国・朝鮮人の補償など、
もろもろの戦後処理にも影響してくることになるだろう。
 それは多大の負担を国民に迫ることになるのかもしれない。
しかし私たちは、誠心誠意これに立ち向かっていかなければならないと確信する。
それこそ日本という国の尊厳にかかわることだからである。
 新政権をつくる非自民八党派は、その熱意を疑問視する向きはあるものの、過去の戦争への反省明示を基本合意政策に掲げている。
衆院議長就任予定の土井たか子氏は、戦後補償問題に関する特別委員会を国会に設置することに意欲的だ。
 今回の政府発表は、宮沢前政権の最後の仕上げというより、細川新政権への宿題である。
さらなる調査と償いと、これを歴史的教訓としてどう生かしていくか、私たちは深い関心を持って注視したい。

民主党代表の小沢一郎氏はかつてこのような事をおっしゃっていました。一部保守系の方は、「民主党が政権を取れば慰安婦謝罪と賠償を始めるに違いない」と推測されてますが、かつてこの様な発言をされた方が代表を勤めている党がそのような事をするとは、私にはとても思えませんね。


【日経社説 1993年8月5日付】

・戦争責任の総括的清算


 政府は四日、日韓両国の間の懸案となっていた第二次世界大戦中の従軍慰安婦問題に関する調査報告書を発表した。
その中で軍による慰安婦の強制連行があった事実についても、遅ればせながら初めて認めた。
従軍慰安婦の痛ましい傷跡をいまさら消し去ることはできないが、五日にも発足する新政権は今回の調査結果を踏まえて、
問題の最終的な解決に向け速やかな対応とできるだけの誠意をみせるべきだ。
 政府が昨年七月に出した報告では、旧日本軍の関与は認めたものの、強制連行については一切、言及を避けた。
これに対し韓国の元従軍慰安婦や支援団体などが強く反発、政府も調査を継続せざるを得なかった。
七月末には外務省の担当官らがソウルに出向き、元慰安婦から直接聴き取り調査も実施した。
 歴史の客観的事実をできるだけ公正な立場から明らかにするのは、なかなか難しいことである。
強制連行の事実があったとしても、必ずしも全員が強制ではなかったのではないか、との見方もあった。
今回の調査は「甘言、強圧によるなど総じて本人たちの意思に反して行われた」とやや微妙な言い方だが、強制的だったことは認めた。
 しかしこれで問題がすべて解決したわけではない。
韓国の金泳三大統領は就任直後に物質的な補償を日本に求めない、と述べているが、日本側は何らかの形で「補償に代わる措置」を検討せざるを得ない。
 さらに難しいのは個人への補償問題である。
従軍慰安婦の韓国人女性は東京地裁に日本軍に対する損害賠償請求の提訴をしている。
 しかも韓国だけに限らない。中国、フィリピンなどの元慰安婦も謝罪や補償を求めている。
これらの国についても韓国と同様の調査をできるだけ早期に開始する必要がある。
間もなく四十八回目の終戦記念日が巡ってくるが、過去の戦争責任を総括的に清算できていないことは誠に遺憾である。
従軍慰安婦問題のほかにも、サハリン残留韓国・朝鮮人の補償訴訟やマレーシア人の未払い賃金案求などが相次いでいる。
 ドイツでは早くから戦後補償に着手し、八五年にはワイツゼッカー大統領が連邦議会で「過去に目を閉ざすな」と演説した。
 日本もいまからでも遅くはない。
まず国会で戦争責任について「謝罪決議」を行う。同時に「調査特別委員会」を設け、慰安婦以外の実態調査も精力的に進めるべきである。
非自民統一の参院議長候補を受託した社会党の土井元委員長は、記者会見の席で歴史の清算問題について意欲をみせた。
いまこそアジアに根強い対日不信を払しょくし、信頼を取り戻すべき時である。

これはいわゆる不戦決議として実現される事になるが、自民党の反発により大幅に表現を修正されてしまい「謝罪決議」とは呼べないものとなってしまう。


【朝日社説 1993年8月5日付】

戦後補償を正面の課題に


 宮沢政権が最後の仕事として、旧日本軍の従軍慰安婦問題の調査結果をまとめた。
韓国での初めての聞き取りも踏まえ、慰安婦の募集や管理が「甘言、強圧によるなど、総じて本人の意思に反して行われた」と官房長官談話は述べている。被害者の名誉回復への前進である。
 慰安婦問題は韓国にとどまらない。フィリピン、インドネシア、マレーシア、台湾、中国、朝鮮民主主義人民共和国北朝鮮)、さらにはオランダからも被害者の声があがっている。
 同時に、この一両年の間に日本の過去の行為に対するさまざまな補償要求が相次いでいることに目を向けるべきだ。
 中国や朝鮮半島からの戦時労働者の強制連行や賃金の未払い、香港の軍票、台湾の旧軍人・軍属の軍事郵貯
インドネシアの「ロームシャ」や「兵補」の給与未払いと、問題の広がりようは、戦後補償をなおざりにしてきたツケが、一気に噴き出してきた感じである。
 自民党政権は、これらの問題の多くは、戦時賠償や請求権の放棄などによって国家間で解決ずみ、との立場をとってきた。
ところが最近は、各国の被害者が直摸、日本の補償を求めて提訴するようになっている。
ただ単に、法律論で身構えるだけではなく、むしろ、政治が対処すべき問題として考える必要があろう。
 慰安婦問題や労働者の強制連行について、それらが当時の政府や軍当局によって集中的に行われたことに
日本の「特異な体質」を読み取ろうとする動きも外国にはある。
自国の組織の内側にしか目を向けず、外に向かっては正邪の判断が失われてしまったことを、今日の日本に結びつけて考えようとする傾向だ。
 それが誤りであることを示すためにも、戦後補償という問題に、正面から向き合わなければならない。
道義に照らして恥ずかしくない対応が必要だ。
 連立政権を発足させる八党派が、政策の基本合意の一項に、「戦争責任の表明」を掲げたことは正しい。
社会党の土井氏が衆院議長への就任を受けるに当たって、「戦後補償への取り組み」を挙げたのも大事な視点であり、実行が期待される。
 宮沢政権は、慰安婦にされた人たちへの「おわびと反省」をどのような形で表すべきかを、次期政権にゆだねた。
 新しい政権、新しい国会は、それにとどまらず、「過去」への取り組みに明確な態度を打ち出す必要がある。
 第一は、市民運動団体や学者・専門家とも協力し、事実の調査、資料の探索を徹底的に進めることだ。
慰安婦問題については、民間の資料発掘の努力が政府の対応を促す大きな材料となった。
 第二は、そのための部局を政府に設けることだ。担当相を定めて責任体制をはっきりさせることも考えたらよい。
場あたり的なやり方では、日本が過去の問題に恒常的に取り組むという決意は伝わらない。
 第三は、反省と謝罪をはっきりと内外に宣言することだ。
これまでの歴代政権は、小出しに「謝罪」を述べることに終始してきた。
国会も、真珠湾十周年や韓国の大統額の来日に備えて反省決議をする案が浮かびながら、いまだに実らないままだ。
 第四は、補償すべきは補償するという態度を明示することだ。原則の確立を急がなければならない。
そして、何よりも大事なのは、「歴史の教訓」を常に忘れず、私たち自身がしっかりと語り継ぐことだ。

日本政府に対し四点要求しているが、実現していると思われるのは第三に対応する村山談話であろうか。しかしこれは決議ではない。


【読売社説 1993年8月5日付】

「強制性」認めた「慰安婦」調査


政府が日中戦争、第二次大戦中のいわゆる従軍慰安婦問題に関する調査結果を公表し、官房長官談話を発表した。
それによると、慰安婦の募集は主に業者がしたが、甘言、強圧によるなど、本人の意思に反して集められた場合が多くあり、官憲が加担したこともあった。慰安所の生活は強制的な状況下にもあった。
慰安婦の出身地は、日本を別にすると、日本統治下の朝鮮半島が大きな比重を占め、その募集、移送、管理が総じて本人たちの意思に反して行われたという。
政府は慰安婦をめぐり、広い意味の「強制性」を認めたことになる。
昨年七月の第一次調査結果では、軍を含め当時の日本政府が慰安婦問題に直接、間接に関与した資料が明らかにされたが、「強制性」を示す資料はなかった。
広い意味とはいえ、「強制性」があった以上、その意に反して慰安婦とされた女性たちの苦痛と恥辱は計りしれまい。彼女たちの名誉回復のためにも、事実を公表したのは当然の事だ。
河野官房長官が「心からのお詫びと反省」の意を表明したのも当然だ。
慰安婦問題はとりわけ日韓関係をぎくしゃくさせ、日韓両国民の間の嫌韓反日といった感情問題までも引き起こした。
曲折の末、韓国の政府や世論の多くがこの問題で日本に求めていたのは「強制性」を認め、公式に謝罪することだった。韓国政府は物質的補償の必要はないとする。
今回の調査結果は韓国政府の意向に沿う形となった。しかし、「強制性」については日本国内になお、さまざまな反論があるのも事実だ。政府は引き続き、慰安婦をめぐる真相の全容を明らかにする努力をすべきだ。説得力のある客観的資料や証言をできるだけ広く集めるのが基本だ。
ともあれ「強制性」を認め、謝罪したからには、謝罪を形で表す何らかの措置が必要だ。韓国以外の国についても同様だ。
補償問題は、財産・請求権や賠償の問題として処理されるべきで、慰安婦問題が表面化していなかったとはいえ、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)や台湾を除き、一連の戦後処理で法的には決着ずみだ。新政権もこの立場を継承すべきである。
だが、法律論だけですまされる問題でないことも明らかだ。新政権は関係国政府、関係者と協議し、わが国、国民の気持ちが伝わるような措置をとってほしい。
過去をめぐる問題を、いつまでも、わが国と近隣諸国の間の関係発展の足かせにしてはならない。未来志向の協力関係の障害にするようでは、お互いの不幸だ。
政界には、国会決議により過去を反省し、将来に向けて近隣諸国との関係を発展させる意思表示をしようとの動きがある。
日本は過去の非について、首相の発言をはじめ、さまざまな形で公式に謝罪ないし反省の意を表明してきたが、国会決議の形をとることに、基本的に賛成である。
その上で、国連平和維持活動をはじめ国際責務を進んで果たすことが、過去をめぐる教訓を生かす道でもある。

 読売は他紙とは異なり、「強制連行」の有無にこだわり、さらには他紙が触れていない「法的には決着済み」との態度を見せているが、河野談話は当然だとしている。謝罪決議についても朝日・日経と同様に基本的に賛成とする立場だ。ここで言われている謝罪決議は、前大戦における全体的な反省を表明するための謝罪決議の事を指すと思われるが、もしここで慰安婦問題に対しての謝罪決議が為されていたならば、マイク・ホンダ議員が米下院に慰安婦謝罪要求決議案を提出する事もなく、安倍前総理が失言する事もなく、世界中のマスコミや政府から叩かれる事もなく、慰安婦の方々も不快な思いをする事もなかっただろう。そう考えると、やはり因果があって応報があるのだ、と柄にもなく考え込んでしまう。
 今回、各紙の社説を書き起こして改めて実感したのは、我々は政府によって後回しにされてきた歴史問題のツケを払わされているのだという事実に他ならない。


人気blogランキングへ