竹村健一氏が急速に左傾化している件

誰も取り上げてないので、俺が取り上げようっと。
従軍慰安婦問題が騒がれた初期の頃は、竹村氏はこんな風におっしゃってました。

アメリカ下院の決議案がつきつける日本の大問題 2007.0301
キーワード:慰安婦問題  
アメリカ下院でこれまで8回も廃案になっていた決議案が、今回は本会議で通りそうだという。第二次大戦時、旧日本軍が慰安婦として知られる若い女性たちを強制的に性的奴隷としたと断罪し、日本政府に事実の認知と謝罪、総理の公式な謝罪声明、若い世代への教育などを要求する決議案だ。

 この決議案を提出したのは、マイケル・ホンダという日系の下院議員だ。私の出演する報道番組で、ホンダ氏に直接、決議案提出の理由をいくつか聞いたが、印象に残ったのは「日本は何度も謝罪している。罪を認めたからこそ、謝ったのだ」と何度も語ったことだ。

 もちろん、この決議案には法的拘束力は何もない。年間に1000本前後の決議案が通るアメリカでは、メディアでも、ほとんど話題にならないもののひとつではあるが、日本人にしてみたら、これほど不名誉なことはない。しかも、いくつも事実誤認がある。謝罪したのは、自分たちの意思に反して慰安婦となってしまった女性たちに対してであり、断じて旧日本軍が強制連行して性的奴隷として従事させたと認め、謝罪したわけではないこと。また、そうした事実は、どの資料を調べても出てこなかったことなどだ。

 何をもって、その事実があったのかという問いに対し、「日本は謝罪した」という反論しか聞かれなかったが、私が残念に思うことは、アメリカには親日派どころか、知日派すらいなくなっているのだなということだ。このことは大問題である。日本を理解し、擁護する活動のないアメリカ議会。このままにしてしまったら、事は慰安婦問題におさまらず、もっと様々な問題が出てくるだろうと容易に予想できるからだ。

 昨年、中国に正式に招待され中国を訪れたアメリカ上院議員は40名。日本を訪れたのは、たった2名。これが下院議員も含めると150名対10名という。これからの日米関係を考えると、ブッシュ大統領と小泉前総理が親しかっただの、安倍総理とどうだといった次元ではなく、真剣にアメリカ議会とのパイプをしっかりとつくる必要性がある。

 アメリカという国は、たとえば先ごろ発表されたアカデミー賞でもそうだが、『ディパーテッド』という映画が作品賞など4部門で受賞したという。リメイクが賞を取るのかと、多くの日本人は思うが、向こうでは基になった映画が知られていなければさほど問題にならないらしい。もっとも、会場では香港映画のリメイクなのに「日本映画のリメイク」と発表され、訂正もされなかったというから、その程度の認識なのだろう。

 またアメリカでは、たとえ交通事故で自身が加害者であろうが、絶対に謝罪の言葉は口にしない。そういう国にあって、謝罪の言葉がどういう意味を持つかを、もっと日本人は真剣に考えるべきだ。

 事実か、そうでないかは問題ではない。ディベートにしても、本家のアメリカでは事実を述べ合うのではなく、いかに周りを自分の主張に賛同させるかが問題になる。この点、日本政府ももっと腰を据えて世界に親日派とまではいわない、知日派を増やす努力をすべきだ。

まあ、電波保守からすれば生温いと思われるかもしれませんが、概ね保守側の意向を汲んだエントリになってます。ところが、2週間後にはガラッと論調が変化しています。

地球上全ての問題に敏感であれ 2007.03.15
キーワード:人権問題
  数週間前は、アメリカ下院でどういった決議案が通ろうが日本人の誰も気にしなかった。しかしながら、旧日本軍に強制的に連れて行かれた従軍慰安婦に対しての謝罪を日本政府に要求する決議案が通るかもしれないとの報道が日本でされることにより、アメリカ国内でも大きく日本批判されるなど、事は少々面倒になってきたようだ。
 これはコロンビア大学ジェラルド・カーティス教授とも話したことなのだが、どうも日本人というのは、人権を真剣に考える対象を日本人に限定しているのではないか。そのことを思うのは、海外で航空機事故などが起こったときが象徴的だが、日本人の乗客がいなかったどうかが最大の問題で、いたとなると日本のマスコミはワッと殺到する。そして不幸にして事故に遭われた方の人となり、家族の悲しみについて毎日のように報じるが、日本人以外の被害者、その家族については無視に近い。そのため、私たちはどうしても日本人中心に物事を見る癖ができてしまっているようだ。

 慰安婦問題は60年、70年前の話だ。当時の日本政府や旧日本軍が強制連行を命じたことを記録する資料は一切ないことから、日本という国には責任はないと、いまの日本政府はそうした立場を取るが、その女性たちにとっては、旧日本軍が依頼した業者なるものが日本国そのものに見えただろうし、また“虎の威を借る狐”ではないが、そうしたことを匂わせた事実も多分、あったのだろうと想像される。

 外国の人間にとっては北朝鮮による日本人拉致問題も、第二次大戦時の慰安婦問題も、同じウエイトを持つ人権問題なのだが、日本人にとっては大変な差がある。その証拠に、この決議案はこれまでにもアメリカ下院に何度か出ていたが、日本のマスコミは伝えようともしなかった。

 日本批判をはじめたのは『ニューヨーク・タイムズ』や『ロサンゼルス・タイムズ』『ボストン・グローブ』などの一流の新聞だ。左寄りの新聞とはいえ、アメリカでも知識層がよく読む新聞なので、そうしたところの影響というのは小さくない。決議案を出したホンダ議員に誤解があるというならば、まだ小火のうちにホンダ議員の誤解を解き、消しておけばよかったのに、ここまで大火になってしまったら、よほど気をつけて消火作業をしなければ、この問題はいつまでもくすぶり続けるだろう。

 そうした事実を示す記録がないから責任がないのではなく、私たちは日本人拉致問題を人権問題だとして世界に対して訴えていくのならば、慰安婦問題についても同じ人権問題であることを強く自覚しなければならない。日本人は日本人の生命が係わる問題についてだけ敏感なのではなく、地球上全ての人の生命に対して敏感なのだとイメージを持ってもらうためにも、全ての問題に心を動かしてもらいたいと願う。

ふと地球市民という言葉が浮かんだ。さらに一ヶ月後になると

未来へ踏み出す決意のときがきた 2007.04.10
  4月下旬、安倍総理が就任後初めてアメリカを訪問する。
  それに合わせるかのように、日米間に様々な問題が噴出している。日米の進めるミサイル防衛計画(MD)の要となるイージス艦の秘密情報漏洩事件。さらに、日系のホンダ議員が議会に提出した慰安婦決議案等々、中国が日米を分断させようとしているといった見方をする人もいるが、そうした隙を与える自身への反省、あるいはどう責任を取っていこうというのかがわからない。これらの議論を聞いていると、首を傾げざるを得ないことが多過ぎるのだ。
 なぜそう思うのか。たとえば慰安婦問題の後に出てきた沖縄での集団自決の問題だ。太平洋戦争末期、唯一、住民を巻き込んだ地上戦となった沖縄で、住民が集団自決に追いこまれたのは「軍の命令」があったとされた種類の記述をしていた歴史教科書が全て書き換えられた。生き残った人々は、軍からの強要はあったとする。生き残った軍人たちは、それはないとする。果たして、軍の命令によって集団自決に追い込まれたのかどうか。こうした問題が解決もしていないのに、教科書を一律に修正してよいのだろうか、両方を載せるべきではないかとの議論だ。
 慰安婦問題と同様に、ここでもキーワードは「軍の命令」である。果たして軍の命令というものがあったのかどうか。慰安婦問題の場合は、命じた旨の公式文書が、何十年もいろいろな人々が探しているが見つからないため、命令はなかった。元慰安婦の女性たちの証言だけで、軍の命令があったと断定してよいのだろうかとの疑問は確かにある。だが、沖縄での集団自決は、まだ両方に生き残りの人がおり、それぞれが証言をしている。なかなか難しいところだが、命令が出たかどうか、それはこの国が、責任の所在を明らかにしたがらない悪しき風習をずっと引きずった結果、いまがあるのだと考える。

 現代でも薬害訴訟等々、国の責任を問う問題がいくつかあるが、結局、お役所の誰の責任においてそれが行われたかが全くわからないし、問われることがほとんどない。つまり、この国は上から下まで責任の所在というものを明らかにしない。最後は、そのときのトップが頭を下げて幕引きということが多すぎる。何のことはない、実はいまにはじまったことではなく昔から、そうしてきたのだ。

 ならば、そもそも戦争が起きた時点で、それに付随する様々な問題については、国家が責任を持つべきではないか。命令があったかどうか、それは歴史家が検証していけばよい。しかし、この国家の国民として生きていく限り「責任はない」と私たちは言ってはいけないのだ。どんな国でも、恥ずべき歴史はある。それを認め、率直に謝罪してこそ未来に向かって踏み出すことができる。いつまでも、こうした種類の問題が繰り返し起こらないためにも、私たち日本国民全員で乗り越えていかねばならない。

こ、これは…(;^ω^)コメ欄があったら豪快に炎上してしまいそうな「サヨク」臭がプンプンしてますw
竹村氏の心境にどんな変化があったのか、それは皆さんの想像にお任せします…。