上田知事の「自衛官は人殺しの練習」発言に対する、自衛官の妻の反発

上田清司埼玉県知事、就任式で自衛官は「人殺しの練習」 埼玉県の上田清司知事は2日、職員の就任式で、使命を全うしようとする公務員の例として自衛官について「平和を守るために人殺しの練習をしている。国民の命、財産を守るためだから偉いと褒めたたえなければいけない」と述べた。

(2007年4月2日13時15分 スポーツ報知)
http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20070402-OHT1T00176.htm

人殺しの練習・異常言動・遺伝子…知事発言も様々
 県の新規採用職員を迎える知事発言で2日、釈明を求められる例が相次いだ。
 埼玉県の上田清司知事は、職員就任式で、使命感の一例として、「自衛官は大変だ。平和を守るために人殺しの練習をしている。『国民の生命と財産を守るために頑張って下さい』と褒めたたえないといけない」と述べた。
 式後、上田知事は記者団に「殺傷という言葉を使えば良かったかもしれない。分かりやすくなり過ぎて、きつい言葉となった」と話した。
(2007年4月3日0時35分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20070402i115.htm

自衛官は、人殺しの練習をしている」 上田・埼玉知事
2007年04月02日19時32分

 2日行われた埼玉県の新規採用職員の就任式で上田清司知事が「自衛官は人殺しの練習をしている」と発言し、後に「適切ではなかった」と釈明する一幕があった。

 発言は県庁職員としてのやりがいなど、使命感について触れた場面であった。「自衛官の人は、平和を守るために人殺しの練習をしている。警察官も、県民の生命や財産を守るために、人を痛めつける練習をする。だから我々は『偉い』と言って褒めたたえなければならない」と話した。

 式の後で、上田知事は「マイナスの仕事がある自衛官や警察官と比べて、県庁の仕事は多くの人に喜びを与え、自らも喜びを感じられることを説明したかった。分かりやすくするため『人殺し』という言葉を使ったが、適切ではなかった。“殺傷”とかそういう言葉を使えば良かった」と話した。
http://www.asahi.com/national/update/0402/TKY200704020236.html

例の上田知事の発言問題ですが、いくらなんでも言葉足らずだと思わざるを得ない発言です。
しかし木走氏のエントリでは
木走日記 - 神田真秋知事よ、お前は神か、ヒトラーか!?〜「生き物の宿命として、弱い悪い遺伝子も中にはある」

 えっと、何か問題でもあるんでしょか?

「言葉が軽率」

「元自衛官だが、これ以上の侮辱はない」

「不適切な言葉以外の何ものでもない」

 県庁に寄せられた発言への県民や自衛隊、警察関係者からの意見は、批判が大半だったそうですが、自衛官からの批判は当事者だから認めるモノですが、どうして一般市民がクレームするのかなあ、よく、わかりませんが。

と、問題はないと仰ってます。が、自衛官や警察関係者から批判が出てる時点で十分問題なのです。問題がなければ批判など来ません。木走氏には敬意を払ってきたのですが、この言葉は残念です。
例によってマスコミ批判の大好きなリテラシーっ子
【一例】花見川の日記 - 埼玉県知事の上田さんの発言は不祥事ではない
が、何も問題は無いと開き直ってますが、当事者からの反発が出ている事をどう思ってるんでしょうか?


ここで、自衛官の配偶者からの新聞への投稿を紹介します。
当事者の生の声ですので、無責任なネットでの発言とは重みが違います。
投稿者名と地理名は伏せました。

入庁式の言葉 慎重に選んで
看護師(35)
あいた口がふさがらないというのはこんなことだろう。あきれ果てた。
上田清司埼玉県知事が、新規採用職員の入庁式で、使命を全うしようとする公務員の例として、
自衛官の人たちは大変だ。分かり易く言えば平和を守るために人殺しの練習をしている。
国民の命、財産を守るためだから偉いと褒めたたえなければければいけない」
と発言した報道を読んで、人殺しだなんて不適切極まりないと思った。
その後知事は、人殺しの表現は「殺傷」という言葉なら適当だったと説明。
その良識を疑った。殺傷も殺しが入っている。 
私の夫は自衛官である。○○市陸上自衛隊○○駐屯地勤務の時に縁があり、
平成11年晴に結婚式を挙げ、幸福に暮らしている。夫は使命感と誇りと情熱を持ち仕事を頑張っている。
人殺しの練習をしているなんて2人の子供たちにはどう伝えたらいいのか。
知事は式辞で「警察官も大変。人を見れば泥棒と思ったり、場合によっては取り押さえなければならない」
「(県庁は)人を痛めつける練習をしなくてはいけない仕事とは違い」などとも述べた。
誠に遺憾だ。これが式辞の言葉だろうか。沈黙は金ともいう。
時にはなむけの言葉は慎重になすべきだと思う。

これが当たり前の感覚でしょう。何が悪いと開きなおっている方々には再考を促します。